二人の共通点。自然体と自我の薄さ
ここ数年、芸能人のタモリ氏と所ジョージ氏の勢いが目覚ましいです。二人とも芸能生活数十年というベテランですが、ここに来てさらに人気も凄みも増して来ているように思います。
両者は70歳と60歳と高齢ですが、テレビに登場する回数や番組の人気を見ても、若手を含めた全ての芸能人の中で存在感が突出しています。
芸能界は非常に厳しい世界。無数の新しい才能が現れては次々に消えていきます。そのような場所で、二人とも何十年にも渡りテレビに出続けています。
そんな二人は今、芸能人としてだけではなく、「人生の達人」として尊敬を集めている印象もあります。
では、タモリ氏と所ジョージ氏は、いったいどうしてそこまで人気なのでしょうか。そして、なぜ今ますます輝きを増しているのでしょうか。
二人について考えてみると、タモリ氏と所氏には以下のように共通している点が多くあることがわかります。
- 笑いに関係する仕事をしている。本人にユーモアがある
- 趣味人で、仕事と別に夢中になっているものがある。遊びを大切にしている
- 群れない。他の大物芸能人のように後輩達とつるんだり親分のようにならない
- 自然体で力が抜けている
- 自己主張しない。自我が薄い
- 独自の価値観・哲学を持ち、それを実践している
- 夢や目標を持たないことを推奨している
この中の多くは、世間一般の人たちとは逆の価値観や生き方です。
とりわけ印象的なのは、自我の薄さです。
己の存在をアピールしなければ生き残れない芸能界で、二人とも前へ前へ、自分が自分がと自己主張しない芸風が逆に個性として際立っています。
とはいえ、強く意識しそう振る舞っている風でもなく、あくまで全てが自然体。
二人ともお笑い、バラエティの世界の住人ではありますが、鋭い笑いを追求したり、「いつか頂点をとってやる」とギラギラ意気込むようなタイプではありません。
それにもかかわらず、弱肉強食の芸能界で長きに渡って生き残り、結果的には芸能人としての頂点とも言える位置に現在いるというのが非常に興味深いです。
しかし、両氏の成功と現在の強い人気は偶然ではありません。
今二人がますます支持されているのは、現代という時代が持つ特徴と二人の哲学が大きく関係していると私は考えています。
なぜタモリと所ジョージは必要とされるのか
タモリ氏と所ジョージ氏に共通しているのは、テレビに出ている人達の中では雰囲気が穏やかであるという点です。
これはお笑いやバラエティの世界にいる人としてはかなり珍しいことではないでしょうか。なぜなら、笑いの世界は競争が熾烈で、通常は大御所の芸人ですら毎回面白いことを言おうとする緊張感のようなものがどこかに漂っているからです。
そんな中で、二人は力が抜けていて限りなく自然体に見えます。鋭いボケを言ってやろうといった意志も感じません。それだけをとって見ても、テレビの人としてはまず普通ではありません。
さて、現在日本は厳しい時代にあります。
貧困世帯が増え、大規模な災害が頻繁に起こり、精神的な病を抱えている人も多くいます。現代の日本で貧困が増加するなどとは、少し前には考えにくかったことです。
そして、数十年前のように、これをしていれば安心というような普遍的で確固としたものもなく、先が見えずに混迷の中で誰もが生活しているような状況です。
そんな時代に求められるものは、強い刺激ではありません。
刺激は現実というホラーだけでもう沢山なのです。テレビでも、大声で怒鳴ったり泣いたりするような激しい感情を煽るドラマや、煩くて賑やかなだけの笑いなどはさほど需要がありません。
そういったものが好きな人ももちろん一定数いるでしょうが、それよりも、今は我々の苦しみを緩和してくれるような、穏やかなものの方が需要があるように思います。
現代に生きる私たちが求めているのはもはや笑いですらなくて、ただ漠然とした安らぎや安心感のようなものなのかもしれない。そんな気がします。
今、タモリ氏と所氏の人気がますます高くなっているように見えるのには、そういう時代背景と関係があるように私は思います。特に、タモリ氏にはそれが求められているのではないでしょうか。
日常に疲れている時。なんとなく不安な気持ちでいる時。ふと付けたテレビでタモリ氏が出演していて、そこにあの独特の落ち着いた空気が流れているのを見ると、なんだかほっとしませんか。
タモリ氏の番組には、テンションの高さや激しい盛り上がりはありません。しかし、そこには我々の殺伐とした心を癒し、束の間穏やかな気持ちにさせてくれる力があるのです。
実は気遣いの人である二人
タモリ氏も所氏も、表向きは飄々としていますが、実は気遣いをする人という側面があるようです。
SMAPの草彅氏が『笑っていいとも』の後説の後でタモリ氏の楽屋を訪れ、「僕、しゃべれなかったんですけど大丈夫でしたか?」と言った際には、「別にいいよ。そんなの気にすることでもないから。流れがあるから、それはそれでいいよ」と答えたり、
また、タモリ氏はキングコング西野氏が仕事に行き詰っていた際に、絵本を書くことを勧めています。(戸部田誠 著『タモリ学』より)
一方、所氏は、一見すると言葉が粗野なところもあるので誤解されやすいようですが、あれは照れ隠しのようなものではないかとわたしは感じています。 実際、以前に観た大学の先生と対談するテレビ番組では、普段のテレビの姿とは少し違って、とても気を遣って話を聞いたりもてなしている姿が印象的でした。
このように、タモリ氏も所氏もどうやらけっこうな気遣いの人であり、芸能人として大御所ではあるものの、人に上下関係を強いたり緊張を抱かせるようなところがありません。
ですから、一緒に仕事をしたいという人が集まってきますし、番組も良い雰囲気なので視聴者も自然と引き寄せられるのでしょう。
そして、仕事人としての能力も高いですので、全く偉そうにしていないのにも関わらず、自然と多くの人から尊敬を集めています。
周囲の人との調和を重んじる所ジョージ
上記のようにタモリ氏も所氏も大きな人望があるものの、人付き合いに関してはお笑い界の芸人たちのように自分を中心とした集団を作ったり、特定の後輩としょっちゅうつるんだりなどはしないようです。
インタビューなどによると、所氏は仕事が終わると飲み会などにはあまり参加せず、自宅で食事をするようにしているとのこと。
私が興味深いと思っているのは、所氏と北野武氏の関係です。
北野氏は所氏の仕事場兼遊び場である「世田谷ベース」や自宅に頻繁に訪れているそうです。
二人は一緒に雑誌を作ったりと何かと仲が良い様子。北野氏のように鋭く孤高な雰囲気を放つ人がそこまで入れ込むというのは、所氏に何か強い安らぎや魅力を感じているのではないかと想像します。
所氏は人とベタベタした付き合いはしないようですが、その一方で他者との調和はとても重んじています。
雑誌『所ジョージの世田谷ベース』では自身の仕事について、「テレビは大人の社会であり、プロデューサーやスポンサーや色々な人がいる。その人たちと調和できなかったら成り立たない」と発言。
また、若い頃から芸能界の人に対してお中元やお歳暮を欠かさず送っていたと、本人の著書か何かで読んだことがあります。
お中元なんて現代の価値観では旧時代のものとして馬鹿にされかねない風習ですが、見た目と裏腹に人を大切にしている所氏らしいエピソードだなと思った記憶があります。
仕事において人との関係、繋がりというのは、ある意味コンテンツと同じかそれ以上に重要ともいえるもの。所氏は能力があるだけではなく、他者を敬い人との調和を大切にしてきた。だからこそ、今の成功があるのでしょう。
一方タモリ氏も、「今まで新しい仕事を始める時は、必ず誰かが『これやってみないか?』と声をかけてきて、自分はただそれに乗っかってきただけ」と発言しています。
二人とも、人との関わりが仕事や人生に大きな影響を与えてきたというのが非常に興味深いです。
タモリ氏も所氏も、現在テレビで20年以上続いている長寿のレギュラー番組を複数持っています。これは驚異的なことですが、偶然ではないと思います。
その理由の一つとして、両氏が番組スタッフから好かれているから、といった話をよく目にします。
たしかに一緒に仕事をする側からすれば、大御所なのに偉そうにせず気配りまでしてくれるなんて、最高の仕事相手でしょう。嫌な人、面倒くさい人間とは当然ですが誰も仕事をしたくありません。
しかしながら、もちろん、内輪で好かれていても一番の客である視聴者に必要とされていなければ、こんなに長く番組が続くはずもありません。
長寿の番組を抱えている理由は、自己を主張しない芸風と独自の哲学を実践し、我々視聴者にも一緒に仕事をする人たちにも必要とされてきた二人だからこそ成しえている偉業ではないでしょうか。
長年活躍を続け、いまやかなりの年齢となってもなお世に必要とされ続けているタモリ氏と所ジョージ氏。今後も注目しています。