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小金井書房ブログ

平安、孤独、楽しさ、をテーマに

スマートフォン・携帯電話の中毒、依存性による支配

刺激から離れる生活

 

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スマートフォン、携帯電話は絶対持っていなければならないものではない

今では多くの人が携帯電話を持っている時代になって、携帯電話やスマートフォンを持っていないと言うとちょっと変わった人とすら思われかねないほどになりました。

とはいえ、携帯電話が一般に普及し始めたのは1990年代後半頃ですから、それまではほとんど誰も持っていないものでした。

今や、街や電車の中で見かけるほとんどの人が携帯電話の画面に見入っています。

そんな姿を見るとふと、はたして外出中にそこまでどうしても電話で誰かと話さなければいけないことや、見なければならなない情報があるのだろうか、と疑問に感じることがあります。

なぜなら、少し前までは携帯電話がなくても人は普通に生活できていたのですから、絶対に利用しなければならない必要性があるとも思えないからです。

多くの人がスマートフォンや携帯電話を持つようになって、私たちはいつの間にか、皆が持っているから自分も持つのが当たり前、自分も持っていなければならないと錯覚させられてはいないでしょうか。

 

もちろんスマホも携帯電話も便利です。

スマートフォンがあれば何でもすぐに検索できますし、どこにいても情報を得ることができます。製品として本当にすごいものだと私も思っています。

スマートフォンや携帯電話があるおかげで生活が助かっているという方も大勢いらっしゃるでしょう。

別にスマホや携帯電話の利用自体を否定するつもりはないのですが、ただ一方で、それらはあまりに便利過ぎるため、今世界中でスマホや携帯電話の依存症や中毒状態のような人が増え、問題が発生しているのもまた事実です。

スマートフォン、携帯電話の麻薬的依存性と中毒性

スマホや携帯には、麻薬的な依存性と中毒性があります。中毒ですから、アルコール中毒やギャンブル中毒と同じで、それは私たちの心身を蝕みます。

スマートフォンの利用者の内、90%以上の人がSNSを利用しているというデータがあります。

SNSにも麻薬的中毒性がありますので、スマホ依存の問題にはSNSの存在が深く関係しているように思います。

最近では、スマホがないと不安になるといった依存症に苦しむ人が増え、スマホ断ち、ネット断食といったものが注目されるようになりました。

また世間にはスマホ依存症やネット依存症を治療するための病院まで存在しています。

 

アルコール中毒の人もギャンブル中毒の人も、これまでは社会全体の中では一部の人たちに過ぎませんでした。

ところが今は世界中でスマホ中毒の人が爆発的に増加し、一部の人の問題ではなくなってきています。

むしろ中毒症状にある人の方が多数派になるかもしれないという状況になりつつあります。

 

「歩きスマホ」「ながらスマホ」による死亡事故が世界中で多発

 

今、歩きながら携帯端末の画面を見ている人が非常に多く、人とぶつかり事故を起こすなどして世界中で社会問題となっています。

自転車に乗りながらスマホを操作している人を私もよく見かけますが、こちらに気づかずにぶつかってくるのではないかと、すれ違う時に恐怖を感じます。

当然これは交通違反ですし、前方不注意で事故を起こせば他人に対して大きな危害を加え、最悪の場合相手を死亡させる可能性もあるとても危険な行為です。

車の運転中におけるスマホの利用も同じです。

最近では外に出れば毎日のようにそういう人を見かけますが、それが当たり前のようになっている今の社会というのはやはりどこかおかしいのではないでしょうか。

 

今、世界では歩きスマホによる死亡事故も多発しています。

オーストラリアやドイツでは赤信号に気づかず道路を横断して車に轢かれたり、路面電車と接触して死亡するなどの事件が起きています。

アメリカのカリフォルニア州では2013年に、電車の車内で銃による無差別殺人が発生しましたが、犯行直前、容疑者が混雑した電車内で銃を隠さずに持ち上げたり振り回したりしていたのにもかかわらず、容疑者の1メートル以内にいた複数の乗客はスマートフォンの閲覧に夢中になり、犯人が銃を持っていることに気づかなかったそうです。

 

日本でも最近は公園などで自分の子供を遊ばせながらスマホの閲覧に夢中になっている親をよく見かけますが、携帯電話に没頭して注意を欠いていると、今目の前にある重大な情報を見逃したり、他者に迷惑をかけることにつながりかねません。

また、子どもから見てもそのような親の姿は「何だ、この人」という感じで、尊敬する対象にはならないでしょう。

 

スマホ、携帯電話の奴隷状態からの脱却

子供の頃から携帯電話が当たり前のように存在していた世代の人たちにとっては違和感はないのかもしれませんが、今街中でほとんどの人が携帯電話の画面を真顔で見つめ続けている姿は、私にはかなり異様で不気味な光景にも感じます。

それはまるで、人間が道具に過ぎないものに意識を支配されてしまっているかのようにも見えるからです。

 

さて、いつからこのようになったのでしょうか。

少し前までは私たちは携帯電話もスマホがなくても生活できていたのですが、便利なものを快適だからと無自覚に受け入れ続けてきた結果、今ではそれがないと生活できないようになってしまいました。

これは携帯電話に限った話ではなく、あらゆる便利なものについても言えることかもしれません。

 

便利過ぎるもの、快適過ぎるものに依存することは、私たちの心身を脆弱なものにしてしまうという副作用があります。

今や私たちは携帯電話という道具に過ぎないものに意識と生活を支配されてしまった、悪い言い方をすれば奴隷のような状態になってしまっていますが、それは本当に快適な状態だと言えるのでしょうか。

それはアルコール中毒や薬物中毒の人とほとんど同じなのではないでしょうか。

一度考えてみる価値があるのではないかと思います。

 

歩きスマホ、ながらスマホ等については今も社会問題となってはいますが、命に関わるような重大な事故等がこれからさらに多発したり、心身に異常をきたす人が社会で増加する結果として、私はいずれこの社会を取り巻くスマホ依存症、携帯依存症の問題が世界中でもっと大きく扱われるようになると考えています。

今はまだその過渡期にあるように思います。

そしてやがて時代の価値観が洗練されて、もしかしたら数十年後、昔の人たちはみんな家でも外出先でもどこでも携帯端末に夢中になっていたと、滑稽な感じで紹介される時が来るのかもしれません。

 

 

刺激から離れる生活: 苦しみを減らす。心を安定させる

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