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不寛容社会とは何か
ここ数年、日本の社会の不寛容性、人々による過剰にも見える批判やバッシングなどの攻撃的な言動が問題となっています。
幼稚園がうるさいとか、ベビーカーが邪魔だと言う人が数多く出てくるなど、昔はあまり問題にならなかったようなことが、ニュースや話題となることが多くなっています。
そして、そういう社会状況や人の心理に関するテーマの本もよく見かけるようになり、テレビ番組の特集でも取り上げられるなどしています。
不寛容というのは、対象となるものを許せないという心理です。そして、許せないというのは怒りの感情です。
ですから、不寛容社会という言葉の意味は、みんなが他人を許せず怒っている社会のことと言えるのかもしれません。
社会を構成する私たちが、いつも自分以外の誰かや何かに対して無意識の内に怒りの感情を抱いているのです。
今や、個人が何気なく発した一言でTwitterやブログが炎上したり、有名人などで過ちを犯した人が一斉にバッシングされ袋叩きにされるのが日常茶飯事となっています。
たしかに、批判されたり叩かれる側には非があるのかもしれません。しかし、そのリンチにも似た過剰なバッシングははたして本当に相応しいことなのでしょうか。
批判したり怒っている本人は正義のつもりでやっているのかもしれませんが、それが行き過ぎて、一歩引いて見ると何かおかしなことになってしまっている。そのことに対する疑問が今、出始めているようです。
ご存知の方もいると思いますが、日本の動物園の猿の名前にイギリスの王女と同じ名前を付けたら、「英国の王室に対して失礼だ」という抗議や苦情が数多く寄せられたという出来事がありました。
しかし、当のイギリス王室は日本の動物園の猿に王女の名前をつけられたのを知りながらも、特に抗議したり問題視していません。
では、この見当違いとも言える抗議や苦情は、一体誰のためのもので、何なのでしょうか。
その他にも、視聴者からの過剰なクレームによって企業のCMが中止になるといったことも度々起こっています。そして、ネット上には人を批判、罵倒する言葉が溢れています。
そんな昨今は、過剰批判社会と言えるのかもしれません。そして、そんな世の中の風潮に対して、「何か変だぞ」と一部の人が疑問を感じ始めているようです。
私たちが平和な社会を築いていくためには、自分と価値観の違う人や嫌いな相手に対して、無理に理解したり仲良くなる必要はなくても、お互い平和に共存していく必要があります。
嫌いだから、気に入らないからといって相手を攻撃したり、危害を加えて良いわけではありません。
そんなことは小さな子供でも理解できそうなことではありますが、実は実行するのは案外簡単なことではありません。だからこそ、先ほど挙げたような事例が現実に起こっているのです。
怒りや攻撃的な感情というのは、多かれ少なかれ私たち多くの人間が持っているものだとは思いますが、平和な社会を維持していくためには、私たちがそうした感情を理性である程度抑制し、自らの感情を制御していくということが不可欠になります。
社会が不寛容で攻撃的になっている理由とは?
それでは、なぜ私たちは不寛容になり、他者に対して攻撃的な人が多くなってきているように見えるのでしょうか。それにはもちろんいくつもの原因があると思うのですが、私はその中でも以下の3つに特に大きな要因があるのではないかと考えています。
①怒りの刺激を求める私たち
すでに当書房の本やこのブログでも書いていますが、私たち人間は、刺激を求める本能とでも言うべき性質を持っています。
穏やかでポジティブな感情よりも、怒り、憎しみ、妬み、悲しみといった刺激の強い感情に流されやすいのです。
ですから、ポジティブな言動よりもネガティブな言動の方が多くなるというのは、ある意味で自然なことなのです。
そんな中でも、怒りというのは最も強烈で刺激が強い感情ですので、私たちにとっては実は大好物のものでもあるのです。
それが、攻撃的な言動をする人が社会に多い理由です。
ただし、怒りの感情自体は現代に特有のものではなく、昔から人の感情として存在しているものです。近年、社会の不寛容さや攻撃性が特に問題になっているのには、以下の理由が関係しているのではないかと思います。
②マスコミとSNSによる怒りの感情の増幅、拡散
本来私たちは、何も見ず、何も知らずに過ごしていれば、それほど怒ることはないはずなのです。なぜなら、そうしていれば怒るきっかけがないからです。
けれども、テレビやネット、雑誌などは毎日色々な問題や出来事を取り上げます。それらマスコミは視聴率や売上が大事ですから、自然とその内容は人の目を引くような刺激的でネガティブなものが多くなります。
例えば、テレビで有名人の不倫や政治家の不正の問題を取り上げれば、「けしからん」「許せない」と、一瞬にしてそれを見た全国の人に怒りの感情が湧き上がります。特にワイドショーや週刊誌等はそれらの問題に対する感情を煽りますから、怒りの感情はますます大きくなります。
たしかに政治家の不正は問題なのですが、本当に問題なのは、それらを目にすることによって私たちの怒りが増幅されて、その感情を制御しなくなることです。すると、そうやって怒りの感情を抱くたびに、気づかない内にどんどん怒りやすく攻撃的な人格になっていきます。
さらに、近年ではSNSの登場により、個人が簡単に発言する場ができました。
すると、先ほど述べたように人は刺激を求める性質によってネガティブで攻撃的な言動をしがちですので、ネット上には自然と他者への批判や非難などの言葉が溢れます。
私たちがインターネットを利用していれば自然とそういったものが目に入る機会も増えますので、そうした怒りやネガティブな感情が、無意識の内にこちらに伝染してきます。
今はこうして、負の感情が社会全体に蔓延しやすい状況になっていて、私たちは自分でも知らない内に怒りの感情を持たされてしまっているようになっているのです。
③時代の変化により、感情を抑制できない人が増加
その上、社会の価値観、倫理観が時代とともに大きく変化したことで、一昔前だったら、周囲や世間の目を気にして抑えていた感情や行動を、抑制することなく表に出す人が増えるようになりました。
昔は、世間や人様に迷惑をかけるというのは最大の恥という価値観が日本には存在していたように思いますが、今はそういった感覚は大分薄れているようです。
そうした変化には良い面もあるかもしれませんが、悪い面としては、自己中心的で感情をコントロールできない人を増やしたという点があるように思います。
モンスターペアレンツ、モンスタークレーマー、暴走老人と呼ばれる人たちが問題となっていることなどが、そのわかりやすい例ではないでしょうか。
また、時代が進むにつれて、モノやサービスが進化して便利になり過ぎたことも、私たちの感情面に影響を与える一因となっているように思います。
少し前までは、人が何かものを買うときには、それを売っている店まで足を運んで買うのが当たり前でした。それが、ネットでボタン一つで注文して配達してもらえるようになると、注文したものがすぐに届かないだけでイライラするようになりました。
わからないことは手元のスマホで検索すればすぐに答えが見つかると思っているから、望んでいる答えが見つからないと苛立たしく感じます。
このように、世の中が便利になるほど私たちは短気ですぐイライラしやすくなるという傾向があり、待ったり我慢するということがどんどん苦手になっているのです。
過剰な便利さ、快適過ぎる環境によって、理不尽や不便なことへの耐性が落ちている、感情を抑制する能力が劣化し始めているというのが、現代人の特徴なのではないかと感じます。
怒りや負の感情を抑制して、寛容な心を
不寛容な社会を変えるためには、社会を構成している私たち一人一人が、怒りの感情や負の感情をできる限りコントロールしていく必要があります。
これは、一朝一夕でできるものではありません。長い年月をかけて根気強く取り組んでいく必要があり、感情をテーマに研究している私自身もその途中にあります。
では、具体的にどうすれば感情を制御することができるようになるかということですが、それには人それぞれ様々な手段があるのではないかと思いますし、私には一概には言えないのですが、個人的に役に立った方法を挙げるならば、自分に合った本を見つけてその内容を実践していくというのが、一つの有効な方法ではないかと思います。
怒りや感情のコントロールをテーマに扱った本は数多く出ていますので、色々試してみて自分にしっくりくるものを選ぶのをおすすめします(なお、この記事の末尾で紹介している当書房の二冊の本も感情のコントロールをテーマにしたものですので、興味のある方はどうぞ)。
それから先ほども書いたように、便利過ぎる生活は私たちを短気でキレやすくします。ですから、あまりに便利過ぎる環境から少し遠ざかり、不便なもの、理不尽なことに対する耐性をつけるというのはかなり有効だと思います。
そして、感情を煽るような情報とは距離を置いたほうがいいでしょう。
考えてみますと、不寛容な態度というのは、相手の悪いと思える所、許せない部分に対してダメ出しをするというような精神性です。
そんな風に世間の人みんなが他者に対してダメ出ししてばかりいるようになると、回り回って自分もダメ出しされるようになります。
それが、今の社会の不寛容さ、息苦しさを作り出しているのでしょう。
それを変化させるには、誰かや何かの気に入らない点をある程度受け容れる寛容さや、他者の悪い部分ではなく良い部分にもっと目を向ける視点が必要なのではないでしょうか。
そしてもう一つ重要だと思うのは、ダメ出しをするなら相手の悪い部分にではなく、自分の悪い所に目を向けてみるということです。
自分のことを棚に上げて他者をあげつらい、己の感情を野放しにしたままでいることこそが、今の息苦しい社会を作り出している諸悪の根源なのですから。
そうして不寛容な世間に風穴を開けることで、もっと他者に寛容で、ギスギスすることのない世界で暮らしていきたいものです。