小金井書房ブログ

孤独、哀愁、静けさ

批判、悪口等の否定的な言葉がネットや世間に多い理由

 

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(佐藤密『脱批判のススメ』<第2章 なぜ批判をするのか>より)

 

意見や感想は批判、否定的になりやすい

さて、この本のテーマでもありますが、どうして世の中にはこんなに批判が多いのでしょうか。

偉そうにこのような本を書いている私自身も、ふとした瞬間に、口には出さなくても何かに対して批判的なことを思っている自分に気づいて、はっとすることが度々あります。

まず言えることは、人が持つ意見や感想というものは批判的なものになりやすいということです。

本来、人が頭で考えることや口から発する言葉には、楽しいこと、うれしいこと、特に意味のないこと等々色々あるはずです。

ところが、他人の会話、インターネット上の人の言葉などを注意深く見ていると、批判や悪口に分類されるものが相当多いということがわかります。

インターネットの掲示板サイト「2ちゃんねる」を想像していただければわかりやすいかもしれません。あの場にはネガティブな言葉や乱暴な言葉による負のオーラが漂っています。

あそこは社会の中でも特殊な場所であるように思う人もいるかもしれませんが、社会で普通に生活している私たちの本音が集まる場という点では、そう特殊な場所ではないと私は思います。

本当はああやって批判したり愚痴を言いたい気持ちで一杯なのが私たちの本当の姿なのではないでしょうか。

 

平穏より興奮を。批判すれば上に立つ気分が得られる

でも、どうしてそんなに批判をしたりネガティブな言葉ばかり発するのかというと、それはポジティブな言葉や肯定的な言葉というものが私たちにとってはつまらないからなのです。

たとえば、人を褒めたり誰かに賛同したりするという行為はいいことかもしれません。が、何だかつまらない。面白くないのです。

どうしてかというと、人と人とが会話をしていて「そうだね」「いいね」とか「そのとおり」と言い合っていても、その状況、その場には何も変化が起きないからです。その無変化を人は退屈でつまらないと感じてしまうのです。

逆に、否定的な意見や言葉を放てば、場の状況に変化が生まれます。言葉を放った本人やそれを受け取った人の心には怒りや反発の感情が発生し、その場にいる人たちの間に敵対的な関係が生まれたりします。

このように、肯定的な言葉を発する時とは逆にその場に多くの変化が生まれますので、退屈とは逆の気分、興奮を味わうことができるというわけなのです。

つまり、私たちは平穏なものをつまらないものだと無意識では感じていて、人と喧嘩したり敵対するのは良くないと頭ではわかっていながらも、つい少しでも興奮できることを求めてしまう性質があるのです。

 

それに加えて、批判をしたほうが自分の存在感を発揮しやすいということもあります。批判して相手の間違いを指摘することで、「相手の方が間違っていて自分は正しいのだ」ということをアピールすることができます。

そうすることで、なんとなく自分が相手よりも賢く、上の立場になった気分を味わえるのです。他人をただ褒めたり肯定しているだけでは、このように自分の存在感をアピールすることができません。

こういった事情から、人の意見というものは自然と批判や否定的なものになりやすくなっているのです。

 

批判や非難、悪口が人気なのは刺激的だから

今、興奮を求めるという話をしましたが、もっと言うと、批判や悪口が人気である根源的な理由は、それらが刺激的だからということです。

別の著作でも書きましたが、私たち人間は本能的といってもいいほど刺激を求めている生き物なのです。

人を肯定したり褒めたりという言動は、ポジティブではありますが刺激がありません。ですから、平和で平穏なことは人気がないのです。

逆にネガティブなこと、悪口を言うことや攻撃的な言動はとても刺激的ですので、どうしてもそちらの方が人気が高くなります。

頭ではポジティブなことが良いことだとわかっていても、本能の欲求にはなかなか勝てないのです。

こうして、我々がとくに意識せずに言葉を発していると、それは自然と批判や悪口ばかりになってしまうということなのです。

 

 

 

脱批判のススメ: 不機嫌な心を手放す

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