小金井書房ブログ

孤独、哀愁、静けさ

宅配ドライバーの多忙さに見る、過剰に便利な社会の歪み

 

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便利だけれど忙しい現代

 現代はあらゆるサービスが発達して、私たちの生活の何もかもが便利になっています。

今までは遠くの場所まで自分で行って買わなければならなかったものが、今ではインターネットを通じて購入すればすぐに届けてもらえるような時代になりました。

 それでは、そのように便利になって私たちの生活はどう変化したのでしょうか。

もちろんまず、物が簡単に手に入りやすくなったという点でとても便利になりました。自分の住んでいる家の近くに買い物をできる店がない人や、買い物へ行くことが困難なお年寄りの方など、今まで不便な思いをしていた人にとってはとても便利になったことと思います。

 では、そのようにサービスや科学技術が進歩して世の中が便利になったことで、我々はその分忙しさや煩わしさから解放されて快適になれたのでしょうか。

 私の見る感じでは、どうもそうではないような気がします。

会社員など働いている人の勤務時間は以前と変わりないですし、日本人の残業時間の長さは今でも世界のトップレベルと言われているほどです。

むしろインターネットの発展によって商売のスピードが加速したり処理しなければならないものが増えたせいか、働いている多くの人は以前にも増して過酷になっているようにさえ見えます。

 

宅配ドライバーの尋常でない忙しさ

 最近ではインターネットで買い物をするのも当たり前の時代になりました。私もネットで注文したものをたまに自宅に届けてもらうので便利でありがたいと思っています。

そんな中でここ数年気になっているのが、宅配ドライバーの方たちが多忙に見えることです。

おそらく、インターネットを通じての買い物が社会に普及したために、運送会社の取り扱う荷物の量も以前に比べて激増しているのではないでしょうか。

ドライバーの皆さんは相当急いでいて余裕がないようで、荷物を届けに来ても一度も目を合わさずに印鑑だけ押してもらって走り去っていってしまう人もいます。

その場でドライバーの方に金額を手渡しする代引きでの買い物の時は、うっかりしていてこちらがあらかじめお金を用意するのを忘れてしまうと、怒られかねない雰囲気で緊張するほどです。

 しかし、私はそのドライバーの方たちが悪いと言いたいわけではありません。宅配ドライバーの方達にしてみれば、沢山の荷物を配り終えなければいけないノルマがあるのでしょうからきっとそのように急ぐしかないのでしょう。

そして、そんなに急いでいる中でもお客に愛想よく笑顔で頑張っているドライバーの方もいて、すごいと思います。

 そういえば以前、こんなことがありました。ある大手運送会社のトラックが、私の家の近所で交通事故を起こしたことが1週間のうちに2回立て続けにあったのです。そのうちの1回は、なんと私の家族が被害者でした。

幸い家族の怪我は軽傷で済んだものの、不注意でぶつかったとのことでその運転手の方が家に謝罪に来ました。

 こんなことが起きるのも、やはり運送業界の忙しさが尋常ではなくなっているからなのではないか、と考えさせられた出来事でした。

 

過剰な便利さは誰かの負担の上に成り立っている

 インターネットでの買い物では、特別料金を支払えば注文をしたものがその日のうちに届けられるというサービスをしている企業もあります。

注文する側は特別料金さえ払えばその日のうちに届けてもらえるので非常に便利なサービスと言えますが、商品を発送する側や配達する側からすれば、「絶対に今日中に届けなければならない」という緊張はきっと相当なものでしょう。

 そこで私が思うのは、今の社会が作り出してしまったこのような便利なシステムは、はたして本当に私たちを幸福にしているのだろうか、ということです。

そのように物流に関わる人達や自分以外の他人に大変な負担を強いてまで私たちが便利さを求めることが、果たして本当に良いことなのでしょうか。

 

(佐藤密『刺激から離れる生活』 第2章より抜粋)

 

 

刺激から離れる生活: 苦しみを減らす。心を安定させる

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