小金井書房ブログ

孤独、哀愁、静けさ

謝罪会見が大好きな私たち

  

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(『脱批判のススメ』 <第3章 批判する人の特徴>より抜粋) 

 

謝罪会見に快感を覚える攻撃的なマスコミと視聴者

 攻撃心旺盛な私たちは、謝罪会見というものが大好物です。

 謝罪会見は、社会で何か過ちを犯した人が行うものです。それも、一般人ではなく主に有名な人、地位のある人が行うのが謝罪会見。

 これは当然、攻撃好きの人にとっては垂涎の的です。普段は上の立場にある人間が頭を下げるところが見たい。その人間がマスコミに寄ってたかって叩かれているところを是非見たい。場合によっては自分も積極的にその攻撃に加わりたい。

 謝罪会見では相手に完全に非がある状態ですので、人は良心の呵責なくその人物に対して攻撃的になることができます。「悪いことをしたのはあいつなんだから、いくらでも攻撃していいんだ」と、徹底的に相手を叩きのめすことができるのです。

 

 ここまで読んでこられてお気づきの方も多いと思いますが、批判が好きな人はサディストな一面があります。

 謝罪会見で質問責めするマスコミの人の様子を見ればそれがわかります。自分たちが完全に正義で正しい側であるという疑いのなさに裏打ちされた、あの活き活きとした怒りと表情。

 謝罪会見を行う人を擁護する気は毛頭ありませんが、しかしその完全に抵抗できない、すでに弱い立場になった人間を大勢で寄ってたかって叩きのめそうとしている人たちの姿に、私はいじめに似た何かを感じます。

 いじめというのは、それを行う人にとっては快楽性がある行為です。

 謝罪会見の場で質問攻めをするマスコミの人も、それをテレビで見ている人も、罪を犯した者が四方八方から叩かれるという状況を眺めて快楽を感じているように思えるのですが、いかがでしょう。そうではないと言い切れるでしょうか。

 そんな快楽が味わえる謝罪会見という機会を、多くの人が普段から舌なめずりして待ち構えているような気が私はしています。

 さて、そうなると、そこで悪を叩いている人たちが、はたして本当に正義の側の人間だと言えるでしょうか。

 

強い態度で批判や非難をする人、攻撃的な人の特徴

 強く批判している人、攻撃的な人にはある特徴があります。

 それは先ほどの謝罪会見で質問しているマスコミの人を想像していただきたいのですが、妙なほどの自信にあふれているということです。それは「自分は正しい側の人間で、相手は悪で間違っている」という自信です。

 でも、どうしてそこまで自分に自信を持てるのでしょうか。もしかしたら自分の考えや行動に間違いがあるかもしれない、とは微塵も思わないのでしょうか。

 激しい批判をする人ほど、自分の考えをまったく疑っていません。これは非常に危険な態度だと思います。なぜなら、世の中で他人に迷惑をかけている多くの人の共通点が、「自分を全く批判的に見ない」ということだからです。

 皮肉なことに、自分が正義だと強く思えば思うほど自分を検証することがなくなりますので、その人の言動は客観的に見ると「正しさ」や「正義」からは遠ざかって、悪に近づくことになります。

 

 

 

脱批判のススメ: 不機嫌な心を手放す

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