目が覚めると、カーテンの向こうが明るい。
時計を見ると、午後三時少し前だった。
目覚めたものの、中居はすぐに起き上がる気にはなれず、布団の上で、しばらくぼんやりとする。
ふと、ひどく喉が渇いていることに気づいた。
水を飲みたいが、布団から起きるのもだるい。起きるかどうか、しばらく迷う。
が、結局喉の渇きに耐えきれず、布団から出て起き上がり、台所へ行き、コップに水を注いだ。それに、氷を一つ入れて飲む。
喉が潤って、楽になる。さらに、残りを飲み干す。
布団から出ることに成功したので、そのまま布団をたたんで、窓を開けた。窓から、八月の午後の暑い日差しと、外の匂いが入ってくる。気持ちがいい。
しばらくそれらを味わったあと、また台所へ行き、顔を洗って歯を磨く。すっきりして、完全に目がさめた。
気分も身体の調子も、悪くない。やはり、日頃の徘徊による運動と、寝る前のストレッチの良い影響が、少なからず出ているのが感じられる。
部屋に戻り、座椅子にもたれる。開け放たれた窓からは、遠くで工事をしている音が聞こえてくる。
廃品回収車のスピーカーから流れる大きな声が、ゆっくり、ゆっくりと近づいてくる。そして、ゆっくり、ゆっくりと遠ざかっていった。と、思ったら、五分ほどして、また近づいて来た。何度もこの辺りを巡回しているらしい。
さて。これからどうしようか。
今日も特に、これという予定はない。
そこで、外の暑さがある程度落ち着く夕方まで待ったあと、外に出て歩くことにする。何もすることがないときは、歩くのにかぎる。
中居は、一度散歩に出かけると、一時間以上は歩く。三時間近く歩くこともある。歩く速度は、かなり遅い。ゆっくりと周囲の景色を眺めながら、空気や匂い、日光など、身体で感じるものすべてを味わいながら、歩く。そして、息をゆっくり吸って、ゆっくり吐きながら、深呼吸するように歩く。
夕方、アパートの部屋のドアに鍵をかけ、外に出る。今日は、駅とは逆方向の、畑が広がる地域の方へと足を延ばすことにする。その辺りは緑が多く、中居の好きな散歩コースの一つだ。
アパートの前から、目的の方向へ歩き始める。辺りは、夕方の時間帯のおだやかな空気に包まれている。小学校から帰る途中の、ランドセルを背負った小さな少年とすれ違う。道の横にある畑で、何かの作業をしている、高齢の男性を見かける。散歩の足取りは軽い。
今頃、まだ多くの人たちが、忙しく仕事をしているのだろう。
世の中の大人たちが朝から働いている日中、おれは、昼過ぎに起きて、こうしてのんびり過ごしている。
今頃どこかで、国を左右するほどの重要な会議が行われているかもしれない。家族や自分の生活のために、きつい仕事も我慢して頑張っている人も大勢いるだろう。
でも、同じ時間に、自分はこうして散歩をしたり、ぼーっとして過ごしている。
中居は、傍から見れば、仕事や働くということに対して積極的ではないフリーターに見えるかもしれないが、彼は、仕事をしたり、働くこと自体が、そこまで嫌いというわけではない。特に、単調な作業を一人で黙々とするような仕事は好きだ。
ただ、中居には、満員電車に乗ったり、毎日決められた時間に出勤したりすることが、我慢ならないのだった。
満員電車で、毎日決まった時間に通勤しなければいけないなんて、冗談じゃない。移動するための乗り物に、人があんなにぎゅうぎゅうに詰め込まれて、死にそうにならなければいけないなんて、狂気の沙汰だ。なぜ、あんなことが世間では当たり前になっているのかと、中居は心の内で憤慨している。
それに、仕事というものは、金を得ることができる代わりに、個人の自由な時間をかぎりなく奪う。一日のほとんどの時間を仕事のために拘束され、通勤やそのための準備の時間も入れれば、一日の内で個人が自由に使える時間など、ほとんどなくなる。だから、自由を求める中居にとって、仕事というものは天敵ともいえる存在となっている。
そういうわけで、中居のように、フルタイムで働くことを嫌う人間には、自由な時間はあるが、金はないということになる。
(『人間嫌いの中居さん』
【短編集『静かなひとり暮らしたち』収録作品】より抜粋)