小金井書房ブログ

孤独、哀愁、静けさ

「ドヤ顔のおっちゃん」

 

 テレビには番組表というものがあり、テレビをつけてこれを見れば、その日に放送される各局の番組や一週間ほど先までのテレビ番組が一覧で見られるようになっている。

 ところが、他のテレビのことは知らないのだが、私が普段利用しているテレビの番組表は文字がかなり小さく、少し離れた場所から見ると、とても見えづらい。埼玉県の地図における蕨市の面積くらい小さい。

 番組表には一応、拡大版というものも用意されていて、それを選択することもできるのだが、拡大版にすると今度は逆に文字が大きくなり過ぎてしまって、番組表全体が一目で把握できない状態になってしまう。

 このことが私には大問題で、私は何事においてもそうなのだが、「全体を把握できないことを極度に恐れる」という謎の習性を持っているため、拡大版では非常に困るのだ。

 この習性について少し説明すると、例えば私は、何かの会場や会議室のような人が集まる空間では、前の方の席だとその空間全体が見渡せない(把握できない)ため、できるだけ一番後ろの方へと座る。そうしないと落ち着かないのだ。

 では、そういった場所でたまたま後ろの方の席が空いていなくて、前の方の席に座らざるをえない状況になるとどうなるのか。

 その場合、私は「そういえば今日宅配便を受け取ることになっているのを急に思い出しました」と言って全力でその場から走り去るか、もしもそれができない時は、バッテリーが切れたロボットのように、その場でぴくりとも動かなくなる(一種の防衛反応のようなものと思われる)。

 そういうわけで、テレビの番組表の話へ戻ると、拡大版もあることはあるのだが、全体が見えなくなるよりははるかにましということで、私はしかたなく、文字が小さく見えづらい通常版の番組表を、いつもテレビを睨みつけるように目を細めてどうにか見ているのだ(もしテレビがヤ◯ザやメキ◯カン・マフィアだったら無事では済まないだろう)。

 

 さて、そんな私であるが、少し前にテレビの番組表の中に、「ドヤ顔のおっちゃん」という文字を見かけた。

 ドヤ顔のおっちゃん…。

 ドヤ顔といえば、人の自慢気や得意気な顔のことで、一般的には世間で揶揄される類のものである。そんな顔をした中年の男性たちを取り上げた番組なのだろうか。

 そこで私は、ためしに様々なドヤ顔の中年男性たちを想像してみた。

 趣味の海釣りで大きな鯛を釣り上げて、ドヤ顔するおっちゃん。

 真夏の熊谷でヒートテックを着て激辛カレーを食べて、ドヤ顔するおっちゃん。

 スーパーにマイバッグを持たずに行き3000円ほどの買い物をし、レジで「袋は要りません」と言って買った物は全部ワイルドに素手で持ち帰り、ドヤ顔するおっちゃん。

 なるほど…。たしかに面白いかもしれない。ちょっと見てみようじゃないかと、興味をそそられてくる。番組表をよく見ると、その番組はちょうどその時放送されている最中だった。私は急いでその番組にチャンネルを合わせる。

 すると、画面に、どこかのアパートの部屋にいる、うなだれた様子の年配の男性が映し出された。男性は静かな声で、自分には娘がいるのだが、もう長いこと音信不通だ。今の自分には合わせる顔もない、というようなことを、ぽつりぽつりと語った。

 番組は、静かで重々しい雰囲気のドキュメンタリーという様子だった。意外だった。陽気なおやっさんたちが登場してそれをみんなで笑う、もっと明るい番組をイメージしていたのだが。こういう人たちが、最後に「ドヤっ」という顔をしてプラスで終わるという番組構成なのだろうか。

 しかし、その後も番組を観続けてみたものの、自慢げや得意気な様子の男性が出てくる気配は一切ない。それどころか、先ほどの年配の男性のように、むしろドヤ顔とは逆の様子の人たちばかりが出てくる。

 何なんだ、これは。

 番組情報と全然違うじゃないか。

 くそっ、番組表め。私をだましたのか。こんな不正確な番組情報を平気で掲載するテレビ局に一言ガツンと文句でも言ってやろうか。

 そう思って番組表をもう一度よく見てみたら、私が見ていた文字は「ドヤ顔のおっちゃん」ではなく、「ドヤ街のおっちゃん」だった。