小金井書房ブログ

孤独、哀愁、静けさ

『孤独な古賀富士男の失踪』 ①

 

 今日も朝からずっと布団の中にいる。カーテンの向こうは、もうかなり明るい。部屋の時計を見ると、午前十一時を過ぎていた。

 いいかげん、起きなければ。起きて、顔を洗い、歯を磨かないと。布団の中でそう思ってから、すでに一時間以上が経っている。喉もとても乾いている。布団の側にあるテーブルの上には、水の入ったコップがある。寝る時に、喉が乾いたらいつでも飲めるようにと、いつも用意している水だ。身を起こして、手を伸ばせばすぐに届く距離にある。でも、たったそれだけのことが、いまの私にはできない。

 起きたくない。

 生きたくない。

 起きれば、またあの辛い現実の世界が待っている。起きたところで、私にいいことなど一つもない。そんな世界へ出ていきたくはない。眠気はとうにないが、私は布団の中から身体を起こすことができないまま、もうすぐ昼を迎えようとしていた。

 

 この前、人生で九度目の失業をした。

 最後の出勤の日、同僚たちに簡単に挨拶をして、職場にあった私物を持って帰ってきた。毎日顔を合わせていた同僚たち。時には、仕事以外のプライベートなことについて互いに話すこともあった。年末の忘年会では、みんなで食事をしたこともあった。でももう、二度と顔を合わせることもないだろう。

 あの、最後の出勤を終えて家に帰るときの、何とも言い難い惨めさと寂しさ。そして、この先に対する不安。失業する度に、二度とこんな思いはしたくないと思ってきた。それなのに、私はこれまで九回も、そのような思いを味わってきた。そのことは、私に深すぎるほどの傷を与え、生きていくことに対するあらゆるもの、前向きな気持ち、頑張ろうとする気力を私から完全に奪ってしまった。それからというもの、私は何もする気になれず、何もすることができずに、毎日ただこうしてずっと布団の中で過ごしている。

 こうして何もしていなくても、このアパートの家賃は発生し続けている。毎月の家賃は、仕事がなくなってもこれまでと変わらず払わなければならない。もう収入が完全になくなってしまったので、これからしばらく手持ちの金はどんどん減っていく一方だ。失業保険に頼ることも、そう長くはできない。また何か、新しい仕事を見つけなければならない。

 

 えっ。

 また、一から仕事を探すのか? 

 またあんなに大変な思いをして、仕事を見つけなければいけないというのか…。
 そのことを想像するだけで目まいがし、ぐったりしてしまう。

 

 そんな生活を続け、いつしか年齢も四十を過ぎていた。気づいたら頭髪もすっかり薄くなってしまった。二十代の頃は、自分がこんな四十代になるなんて想像もしていなかった。冴えなくても、まあ、それなりの生活をしているのだろうと、漠然と思っていた。でも、現実は違った。想像していたよりもずっと酷いものだった。

 これからまた就職活動をしても、ただでさえもう若くないのに、こんなに失職を繰り返している私の経歴は、面接で確実に怪しまれる。実際、最近まで勤めていた職場の面接を受けた時はそういう感じだった。奇跡的にどうにか新しい仕事に就けたとしても、どうせまた同じような結末が待っているのかと思うと、もう、新たに仕事を探そうという気力がどうしても湧いてこない。

 今までの仕事はたまたま運がなさ過ぎただけで、今度就く仕事が同じようにまた失われるとはかぎらない。頭ではそうわかっている。実際、そんなアドバイスハローワークの職員から言われたこともある。しかし、これだけ何度も現実に仕事を失ってきた私の身体には、もう自分の意志ではどうしようもないほどの深い恐怖心と猜疑心が染みついてしまっているのだ。

 

 不意に、アパートの外から小さな子供たちのにぎやかな声が聞こえてきた。保育園児たちが散歩でもしているのだろうか。

 子供なんて、私には一生持つこともないだろうな。

 もう四十も過ぎて、自分はいったい何をやっているのだろう。同世代の人間たちの多くは結婚して子供がいたりするのに、私は仕事に就いてはやめ、仕事に就いてはやめ。何一つ前に進んでいない。ただ、行ったり来たりを繰り返しているだけ。むしろ、色々な面で少しずつ後退している。経済的にも、自分一人の生活を維持することすら危うい。おまけに背は低く、顔も冴えない。こんな人間を相手にする女性など、当然いるはずもない。今後もずっと一人きりだろう。いつからか、自然とそのことを覚悟するようになった。

 年老いた親には、心配ばかりかけている。自分の人生がひどく惨めで、滑稽に思える。趣味も、楽しいことも何もない。生きているということが、ただただ虚しい。

 でも、惨めでも虚しくても、働かなければ生活できなくなるという厳然たる事実が目の前にある。

 生きるということは、こんなにも辛く苦しいことなのだろうか。

 もう、逃げたい。

 逃げ出したい。

 この苦しみから。何もかもから。

 そう思うたびに、自殺という奥の手が頭をかすめる。

(死ねば、このすべての苦しみから解放される)

 何とかなるべく苦しまずに、人生を終わりにする方法はないものだろうか。これまで、気分が底の底まで落ちたときに、何度か自殺のことについて考えを巡らせてきた。飛び降り自殺。電車に飛び込み。練炭自殺。首吊り自殺。痛いのは嫌だし、死んだらもう全てが終わりになるとはいっても、できれば人生の最後に人に迷惑をかけたくはない。朝の通勤ラッシュの電車に飛び込んで自殺し、電車を遅延させて大勢の人に迷惑をかけ、恨まれ憎まれて死ぬようなことは、やっぱりちょっといやだな。

 いつだったか、自殺の中で一番人にかける迷惑が少ないのは、首吊りだと聞いたことがある。本当だろうか。

 そういえば昔、最初に勤めた職場の同僚の男が自殺したことがあったけれど、聞いた話では、彼は自宅で首を吊ったということだった。あまり言葉を交わしたことはなかったけれど、特に暗いという印象の人ではなかったし、とても自殺をするような人には見えなかったが。彼もやっぱり、死ぬ時の他者への迷惑のことなどを考えて首吊りという手段を選んだのだろうか。

 自分が首を吊るとしたら、場所はどこだろう。

 私は、このアパートの部屋で自分が首を吊る姿をリアルに想像してみた。

……。

……。

 駄目だ。やっぱり自分にはまだ、死ぬほどの勇気はない。それに、死んだら自分は楽になれるだろうけど、親をひどく悲しませることにはなるだろう。これまでさんざん迷惑をかけてきて、やっぱりそれはしたくないな。

 最近、布団の中でずっとこんなことばかり考えている。

 …そうだ。買い物に行かなければ。もう何日も買い物に行っていない。最近はほとんど何も食べていなかったとはいえ、さすがにもう食べるものが家にない。これでは、自殺の前に餓死してしまう。腹が減っては、自殺はできぬ。やっぱり今日は、なんとかして家の外に出なければ…。

 そこでしかたなく、重い身体をやっとのことでどうにか布団から起こして、外へ出るための簡単な身支度をする。そして、何日かぶりに、玄関のドアを開けた。

 

 (『孤独な古賀富士男の失踪』より抜粋)

 

 

孤独な古賀富士男の失踪

孤独な古賀富士男の失踪

  • 作者:佐藤密
  • 出版者: 小金井書房
  • 発売日: 2019/11/05
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