小金井書房ブログ

孤独、哀愁、静けさ

『人間嫌いの中居さん』①

 

 

 深夜。
 ひっそりとした住宅街の中を歩く。
 誰も人のいない道路を、街灯が静かに照らしている。この時間はもう、仕事帰りの会社員もいない。周囲には、こんなに沢山の家やマンションがあるのに、外に人はいない。
 こうして人気のない夜の世界を歩いていると、昼間の世界は全て幻で、本当は存在しないのではないか、という思いがしてくる。中居は、この空想が気に入っていて、今までに何度も頭の中で繰り返している。
 いつもの深夜徘徊コースをしばらく歩いて、遊歩道沿いにあるベンチのところまで来た。
 あの男は、今日もベンチに座っている。
 年寄りではない。かといって、若者でもない。四十代くらいの男だろうか。
 ここのところ、深夜にこの場所を通るたびに、ああしてあのベンチに座っているのを見かける。
 そばを通り過ぎる時に視界に入る程度だから、あまりじっくりとその男を見たことはないが、どうも、特に何かをしている様子ではない。ただベンチに座り、背もたれに背をあずけて、じっとしている。
 おれは夜、特に決まった時間に歩いているわけではないのに、こうしてあの男をよく見かけるということは、毎日のように、かなり長い時間、ああして座っているのだろうか。
 何か、物思いにでもふけっているのか。
 彼もまたおれと同じ、夜の世界の住人なのだろうか。
 中居には詳しいことを知る術はなく、男が座っているベンチの前を、ただ黙っていつものように通り過ぎる。
 夜とはいえ、八月の気温は高い。歩いていると体が汗ばむ。
 日課のようになっている夜の散歩をひととおり終えて、中居は帰宅した。
 
 アパートの部屋に帰ってきて、まず、水道の水を飲む。それから、部屋の隅に置いてある枕を取り出し、頭をのせて、畳に寝転がった。
 天井の蛍光灯を、ぼーっと眺める。
 深夜のアパートの室内は静かで、しんとしている。冷蔵庫が発する、静かに響く音だけが聞こえてくる。
 ここは、都市部から少し離れたところにある、郊外の街。
 家賃があまり高くなく、バイトの求人がそれなりにあり、そのバイト先に通うのに不便にならなそうな場所として、中居はここを選んだ。昼間は多くの人が都心へ仕事に出かける、いわゆるベッドタウンと呼ばれるような街。駅前はそれなりに栄えているけれど、駅から少し離れれば畑もあり、自然が広がっている。
 そんな街の、駅から歩いて二十分ほどの場所にある、築三十九年の古いアパート。その1Kの部屋に、中居は数年前から住んでいる。
 アパートの外観はかなり古めかしく、若い女性などは、まず住みたがらないような物件だ。だが、中居はこの古びた建物の雰囲気が、なんとなく気に入っていた。
 中居の部屋には、テレビがない。物もほとんどない。物が沢山あると落ち着かないし、それを管理する手間が煩わしい。ごみが多く出るのも好きではない。だから、中居は物をなるべく持たないようにしている。
 テレビがないので、ニュースを知りたいときや、情報を得たいときには、ラジオを聴く。音楽を聴きたいときなども、ラジオをつける。
 部屋の窓辺にある丸椅子の上には、サクラランの葉の入った小さな植木鉢が、一つ置かれている。
 住んでいるのは中居一人だけの、小さくて静かな、和室の部屋。
 中居は、人が好きではない。
 だから、社会とは距離を置き、なるべく人とは関わらないようにしている。人付き合いもない。
 ただ、ひっそりと暮らしたい。世間と関係ない所で生きていたい。
 できるだけ自由でいたいし、誰にもこの生活を邪魔されたくないと思っている。
 人とは、生きていく上で仕方なく、最低限関わっているだけ。仕事も、生活に必要な分だけ最低限働いているだけ。
 普段は、バイトを週に二、三回程度して、あとは、気ままに過ごしている。
 金はないけれど、中居にとって何より重要なものは、何にも束縛されない、自分が自由になれる時間だ。
 その自由な時間を使って、何か特別なことがしたいというわけではない。ただ、彼にとっては、自由に使える時間があるということが重要なのだ。何にも強制されず、自分の意志で好きなように使える時間というものが。

 

 

(『人間嫌いの中居さん』
 【短編集『静かなひとり暮らしたち』収録作品】より抜粋)

 

人間嫌いの中居さん

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静かなひとり暮らしたち

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