孤独を癒す本を求めていた
今から遠い前の話。私は就職のために、それまで長く住んでいた土地を離れて、とある県で一人暮らしをしながら仕事に就いていたことがあった。
その職場は私を含めて数人しかいないところで、私は独裁者的な年配のパワハラ上司の下で働いていた。
見知らぬ土地で、慣れない仕事と上司からの圧力に疲れて毎日アパートに帰っても、誰とも関わる機会がない。仕事のない休日も同じだった。人と関わることがない。
まだ、今のようにSNSも普及していなかった頃の話だ。
そんな孤独な生活を送っていた頃、私はよく、孤独な人物が出てくる小説を読みたいと思っていた。映像作品でもよかった。そういうものを見て、共感して癒されたいと思ったのだと思う。
でも、いざ探してみると、自分が期待しているようなものはなかなか見つからなかった。ネットでも検索してみたけれど、これというものがない。
ある時、仕事の帰りに、駅ビルの本屋で文庫の背表紙を端から端まで見て探したこともあった。
その時、幻冬舎文庫の中に赤川次郎の『ひとり暮らし』というタイトルの小説を見つけて手に取ってみたものの、それは東京で一人暮らしを始めた女子大生を描いたユーモア青春小説で、私が読みたいのとはちょっと違うな、と思って棚に戻した記憶がある。
結局、色々探してみて、孤独な人物が出てくるフィクションやノンフィクションの作品をいくつか見つけることはできたものの、「こういうのが読みたかったんだ」というようなものまでは見つけることができなかった。
今でも覚えているのは、当時一番共感したのは本ではなく、ネットで見つけた若い女性の書き込みだった。
その人は実家がある北海道から遠く離れた都会で働きながら一人暮らしをしているが、やはり知り合いも友人もいない土地で孤独を感じていて、休日はベッドに寝転がりぼーっと天井を眺めたりしているだけ、というような内容のものだった。
社会から隠蔽され、見えにくくなっている「孤独」
こんなに世の中に本も映像作品もあるのに、どうして私が読みたいもの、観たいようなものがないのだろうか(単に私が見つけられなかっただけというのもあるけれど)。
当時の私はそのことに愕然としたが、今になってみるとわかることがある。
思うに、そのような作品が少ない一番の理由は、世間を大きく支配している価値観にあるように感じる。それは、「人との絆が大切」「孤独は良くないもの」という根強い価値観だ。
私たちが普段目にするテレビやドラマ等では、家族や恋人、友人がいることの大切さや幸せをこれでもかと押し出してくる。
「家族って素晴らしいよね」「恋愛っていいよね」「友人って大切だよね」
そういう強大な宗教にも似た価値観に基づいて作られた番組や作品が多く目につく。
例えば、「のど自慢」や一般の人々の昼ご飯を紹介する番組などを見ても、なぜか家族や配偶者に恵まれている人ばかりが出てくる。孤独なニートや引きこもりの人などは登場しない。意図的にそういう風に作られているところがあるのだろう。
だから、リアルに孤独な人を目にする機会は、一般的なメディアではほとんどない。そういう人たちが表に出てこない仕組みになっている。これはある種、隠蔽されているといえると思う。
このようにして、私たちが普通に暮らしているとそんなものばかりが目に付くことになり、現在孤独な状況にある人は、ますます孤独感で苦しんでしまうことになる。
みんな家族がいたり恋愛をしたりしているのに、どうして自分は孤独なんだろう。恵まれていないのだろう、と。
しかし、それはメディアが作り出した虚構に騙されているのに過ぎない。表に出てこないので見えにくくなっているだけで、実際には老若男女、孤独な人は世の中に大勢いるのだ。
念のために書いておくと、私は家族や人の絆を否定しているわけではない。
ただ、あまりにも社会がそれらを無自覚かつ一辺倒に押し付けているので、それが一種の暴力となり、見えないところで苦しんでいる人たちが実は大勢いるのだということを指摘したいだけだ。
そして孤独な人物が主人公の作品ができた
そこで、当書房では孤独な人物が登場する小説(電子書籍)を作ることにした。
世の中には様々な種類の孤独を感じている人がいて、かつての自分のように、孤独な人物が出てくるフィクションを求めている人が必ずいるはずだからだ。
そうしてできた小説『静かなひとり暮らしたち』は、年齢も境遇も様々な五人の男女が登場する短編小説集である。
この小説には、会話がほとんど出てこない。なぜかというと、現実の孤独な人というのは、ほとんど会話をしないからだ。
世の中の小説好きの人の中には、会話の部分が好きな人がいることは知っている。しかし、この小説では会話は少ない。
そういう点では、人によって多少好みが分かれるところがあるかもしれないが、リアリティのある作品になっていると思う。
また、小説における地の文と呼ばれる会話以外の部分は、映画やドラマ等の映像作品にはない小説ならではの魅力でもある。
そして小金井書房は2019年に、『孤独な古賀富士男の失踪』という二冊目の小説を出版した。
これは、不遇続きの自分の人生に嫌気がさした中年男が主人公の物語だ。
タイトルからもわかる通り、主人公は孤独な人物である。
ちなみに、こちらの作品では前作よりも会話文が多く出てくる。
孤独は必ずしも悪いものではない
すでに述べたように、孤独は現在の社会の中では表に出てこない、見えにくいものになっている。良くないもの。避けなければならないネガティブなものとして。
たしかに、私が冒頭で取り上げたような過去の私自身の孤独も、辛いものとして取り上げている。
しかし、孤独は悪い面ばかりではない。それもまた事実だ。
私の場合でいうと、当時の生活が辛かった主な原因は職場の上司のパワハラであって、それを除けば、知らない土地での一人暮らしはエキサイティングなものでもあった。
孤独だから楽しさも幸せも享受できないということはない。
『静かなひとり暮らしたち』では、孤独は必ずしも悪くも悲惨でもないものとして描かれている。
それどころか、むしろ自ら進んでそういう状況に身を置いている登場人物もいる。
彼ら彼女らは、淡々と一人の生活を送りながら、孤独だからこそ得られる静かな感覚や喜びを受け取めている。
孤独を辞書で調べると、「他者との接触がなく、ひとりきりであること」といった意味が出てくる。
どんな人だって、自分という人間はただの一人きりなのだから、孤独と無縁ではない。今は孤独ではないという人だって、ふとしたきっかけで突然孤独な状況になることもある。
もしこれを読んでいる人で現在孤独に悩み苦しんでいる人がいるとしたら、一人でいることや孤独であることは異常なことではなく、他にも同じ境遇の人が実は大勢いるし、特に悪いことではないと言いたい。