小金井書房ブログ

孤独、哀愁、静けさ

集団でバッシングする監視社会は結局自分を苦しめる

 

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(『脱批判のススメ』 第5章「批判のデメリット」より抜粋)

 

 普段から何かを悪く言ってばかりいると、いつもその対象となる人や出来事のことを考えてしまうことになります。怒りの感情は癖になるからです。
そうやっていつも不愉快なことを思い出しては怒りに駆られるのは苦しいものです。

 さらに恐ろしいのは、積もり積もった怒りが限界点を突破すると、ある日感情のブレイクダウンとでもいうべき状況が起きて、突然強烈に身体がだるくなって何もかもやる気が起きなくなってしまうことがあります。

やらなければいけないことがあっても身体を動かすことができない。布団から起き上がるのもつらいというような状態です。

このような現象は、これまで自分が溜めこんできた怒りの感情が爆発したことが原因なのです。

 

 さて、今の日本には、「少しの間違いも許さない」というような雰囲気が漂っています。誰かが間違ったことをすれば些細なことでも目ざとく見つけて吊るし上げ、徹底的に批判する。お店の店員の態度に少しでも不満があれば激怒し、有名人が問題のある発言をすれば、大勢で叩いて炎上を起こす。

 このような社会では、誰もが他人を見張っている一方で、当然ながら自分自身も監視される立場になります。

普段、商品やサービス、他人の仕事について批評家気取りで採点したり評価している人にも、生活のために毎日している自分の仕事があるはずです。すると、自分自身も見知らぬ他人からその仕事ぶりを採点、評価されることになります。

 こうして、自分が相手を批評するだけでなく自分も批評される、常にお互いがお互いを監視するような社会状況に今はなっています。

 では、このようにみんながお互いを厳しく監視し合っているような社会は快適なのでしょうか。
やはりそうではないと思います。息苦しく、いつ自分が非難されるのかという緊張感に満ちています。

 皮肉なことですが、私たちが厳しく他人を批判や批評していることで、自らの手で自分たちの世界を苦しくしてしまっているのです。

 このように批判の精神は、他者や外部に対してそれをぶつけているように見えても、やがて自分に返ってきて自分を苦しめます。自業自得ですから仕方ありません。

 

 

 

脱批判のススメ: 不機嫌な心を手放す

脱批判のススメ: 不機嫌な心を手放す

  • 作者: 佐藤密
  • 出版者: 小金井書房
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