小金井書房ブログ

孤独、哀愁、静けさ

何でもレビューする現代社会、その評価の責任

 

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(『脱批判のススメ』 <第1章 批判のあふれている社会>より)

上から目線でレビューし採点する客たち

 今はあらゆる商品やサービスを客がレビューし、星の数で評価したり点数をつけたりするといったことが一般化しています。

 例えば飲食店や宿泊施設などが採点され、利用者のコメントがネット上に投稿されています。最近は事前にその評価を見てから商品を購入したりサービスを利用するという人が多いのではないでしょうか。

大きい店だけではなくて、チェーン店ではない街の小さな飲食店まで採点されていることもあります。

 たしかに、「まったく何も知らない店にいきなり行くのは不安だからそういう情報を事前にチェックしたい」という人の気持ちは理解できます。

 

 さて、そんな評価システムが一般化した今の社会では、店側としては客に低く評価されることをとても恐れます。当然ながら、もしそこで低く評価されてしまったら商売に大きな悪影響が出るからです。

もしお客の誰かが一言「あの店のサービスは最悪だった」とでも投稿したならば一大事です。

その評価が全く妥当なものではなくて、ある客の個人的な主観に過ぎないものであっても、ネット上に投稿されたその情報は、これからそのお店を利用しようとしている人に対して小さくない負の印象を与えることになります。

 そこで、店側も評価に対して過敏になって、お客からつけられたコメント一つ一つに丁寧に返事をする努力などをしています。

中には言いがかりや単なる嫌がらせではないかというようなことを書かれたり、どんなに理不尽に見えるお叱りを受けても、丁重に謝罪しています。理不尽だろうが何だろうが、低く評価されてしまっては困るからです。

 このような店と客の関係は、まるで奴隷と王様であるかのようです。

王様の機嫌を損ねないように、奴隷はどんな命令も甘んじて受け入れなければなりません。

 考えてみれば妙な感じではありますが、店と客の関係がそのようであるのが今では常識であるかのようになっています。

 私はそのような風潮に違和感があります。

 サービスを提供する側と客との間に圧倒的な上下関係が存在し、客は自分が客であるというただそれだけで、まるで王様のようにふるまっている。評価におびえて立場の低い相手(店)に対して上から目線で横柄な態度をとっている。

 そんな客が下品であると感じます。

 

レビューする側の責任が見過ごされている

(中略)

 このように、採点やレビューというものが手軽かつ気軽に行われています。その一方で、評価された側はそのレビューによって多大な影響を受けています。

レビューを投稿する人たちは、その責任まで考えているのでしょうか。

 たとえば、飲食店などでたまたま一度店員の愛想が悪いという印象を受けたとして、その一回の出来事だけで客が店を低く評価してしまうのはいかがなものでしょうか。

その店員は単に寡黙な性格というだけなのかもしれませんし、愛想が悪いというのは単にその客の主観的な印象に過ぎません。他の客から見れば、無口で大人しいけれど感じのいい人であるかもしれません。

すると、そのたった一度の主観的な印象を元につけられた低評価は正確性を欠くということにならないでしょうか。

 その低評価はインターネット上にずっと残ります。それを見てその店に行かなくなる人も出てくるでしょう。

一方、その低評価をつけた本人は、おそらく自分がそんな評価をしたことも忘れて生活しているのでしょう。

 

 今は商品やサービスを手軽に評価できる時代になりましたが、評価する人は自分が下した評価の影響に対してもう少し責任を感じる必要があるのではないでしょうか。

 あまりに正確性を欠いた評価は、営業を妨害することになります。

 

 

 

脱批判のススメ: 不機嫌な心を手放す

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