好きと嫌いの感情は同じコインの裏表
(『刺激から離れる生活』 第6章「好き嫌い」より抜粋)
「好き」も「嫌い」も穏やかではない心の状態
私たちは往々にして、目の前にあるものを「好き」か「嫌い」のどちらかの感情で分類してしまうという癖があります。
「好き」か「嫌い」のどちらかではなく、「普通」とか「好きでも嫌いでもない」という判断があってもいいはずなのですが、あまりそういう分類はしません。
例えば皆さんもテレビで見る芸能人や同じ職場の人を、無意識のうちに好きか嫌いかのどちらかで分類しているということはないでしょうか? そういう私も実はよくやってしまうのですが。
好きという感情も嫌いという感情も、「普通」や「どちらでもない」という状態に比べると強い感情です。
「好き」と「嫌い」は、反対の性質の感情ではありますが、実はどちらも平常心よりもおだやかではない心の状態、刺激的な感情という点では共通しているのです。
ですから私たちは、刺激がなくてつまらない「平常心」「普通」の状態よりも、刺激を味わえる「好き」や「嫌い」の感情の方へどうしても意識が引っ張られてしまうようです。
こうして人は、自ら身の回りに好きなものと嫌いなものを勝手に沢山作り出して、いつも多くの「好き」や「嫌い」に囲まれながら生活していることになります。
さて、このように自分の周りがいつも「好き」「嫌い」ばかりであふれているというのは、我々が生活していく上では問題も生じてきます。
まず、「嫌いなもの」が多いと問題がありそうだというのはみなさんも想像しやすいのではないかと思います。
「あれも嫌い」「これも嫌い」 と、いつも自分の周りが嫌いなものだらけという人はやはり楽しそうに見えないでしょう。
では、「好き」という感情の方はどうでしょうか。
こちらはポジティブな感情ですので、この感情が多いことは一見問題なさそうに見えます。むしろ嫌いなものが多い人とは逆で、好きなものに囲まれていれば楽しそうです。
ところが、そう単純ではないのです。
けして「好き」という感情を否定するわけではないのですが、「好き」という感情も刺激的な感情であることには変わりがありませんから、この刺激に慣れ過ぎると、刺激の少ない「普通」の時間がつまらなくて苦痛に感じるようになってしまいます。
何でもない普通の時間を味わい楽しむ秘訣
私たちの日常というのは、その多くは特に面白くもつまらなくもない「普通」の時間がほとんどです。
そのような「普通」の時間は、本来良いものでも悪いものでもないはずなのですが、「好き」の刺激に慣れ過ぎてしまった人にとっては、そのごく普通の時間が退屈でつまらないものに感じられますので、苦痛な時間、 避けたい時間ということになってしまうのです。
例を一つ挙げるなら、私たちが歩いたり電車に乗って移動する時間というのは、元々は特に面白くもつまらなくもない普通の時間でした。
それがいつからか携帯端末や携帯型音楽プレーヤーが登場したことにより、移動中にそれらの機器を利用している時間は退屈しないですむ「好き」な時間となりました。
その一方、それらを利用せずにただ歩いたり電車に揺られている時間が、今はとてもつまらない時間、苦痛なものに変化してしまいました。
このように、「好き」と「嫌い」の感情はまるでコインの裏表のような関係であり、好きという感情を作ると、その反動で嫌いという感情も生まれやすくなってしまうというデメリットがあるのです。
ですから私たちは、もし日常から苦しみを減らしたいのならば、あまり「好き」なものにも執着し過ぎないほうが良いのです。
そして、普段からなるべく「好き」や「嫌い」という刺激の強い感情に囚われないようにしていれば、私たちの日常の大部分を占めている「普通」な時間を、それほど嫌がるものではなくもっと味わいのあるものとして楽しめるようになるのです。