小金井書房ブログ

孤独、哀愁、静けさ

『後藤田さんの静かな生活』②

 

 

 午前中のうちに、畑に増えていた不要な雑草を除去した。昼食を食べて、そのあと、少し昼寝をする。
 昼寝から覚めたあと、家の中を掃除したり、洗濯物を取り込んでたたんだりと、細々とした作業を済ませているうちに、午後三時のお茶の時間になる。
 お気に入りの冷たい緑茶を入れて飲み、乾いた喉を潤す。
 うまい。いつもの、午後のおだやかなひととき。
 さて。
 一息ついたら、夕方の散歩に出かけることにする。
 空は相変わらず快晴で、午後四時近くになっても、日差しは強く、気温もまだまだ高い。
 帽子を被り、首にタオルを巻いて、左側に森、右側に畑が続く長い道を歩く。森の木の匂い、草の匂い、畑の土の匂いなど、色々な自然の匂いが混じり合い、香ってくる。
 こういった自然豊かな場所とは無縁な所で長年暮らしてきた自分にとって、この匂いはけっこう好きだ。自然の瑞々しさを感じるし、気分もリラックスできるものがある。
 蝉の鳴き声を聞きながら、しばらく道を歩いていると、遠くの畑に、一人の年配の男性を見かけた。こちらに気づいたようなので、会釈をする。向こうも、会釈を返してきた。
 あの人は、畑でああして何かしているのを、たまに見かける。けれど、まだ、お互い言葉を交わしたことはない。
 彼は、何でこんな場所にいるのだろうか。見かけるときはいつも一人なので、おそらく私と同じように、この辺りに一人で暮らしているのではないかと思う。元々この辺りに住んでいる、地元の人なのだろうか。
 ああいった感じの、どこかに勤めている風ではない中高年の男性は、この辺りでは、他にもぽつぽつと見かける。もちろん、私自身もその一人なのだが。
 彼らは、見かける時、ほぼみんな一人だ。男性だけではなく、中には女性もいる。やはり、一人でいるのを見かけたことがある。この地域には、私と同じような人が、かなり多く住んでいるようだ。
 おそらくみんな、それぞれに事情があって、世間で普通とされるような生活や老後からは、遠いところにいる人たちなのだろう。
 ここは、そういう者たちが、自然と集まる地域。お互いに干渉し合うことはない。みんな、他人と関わらないようにして生きている。
 だから、ここでは、地域のつながりは特にない。積極的に、近所や地域の人と交流するような人物はいない。
 私もそうだ。できるだけ、人と関わりたくない。
 ただ、この周辺で何か事件でもあったときに、変に疑われたりしないように、出会った人にあいさつぐらいはするようにしている。


 どこまでも畑が続く道を、黙々と歩く。首の回りにふき出る汗を、タオルで拭きとる。
 私がこうして散歩をするのには、理由がある。
 身体を動かすのが気持ちいいということもあるが、一番は、健康のためだ。
 誰も頼る者がいない、今の独り身の生活では、もし、自分に何かあったら大変だ。一人で家の中や、畑で倒れたりしたらと想像すると、恐ろしい。
 その場合、すぐに死ぬのなら問題ないが、問題なのは、死ぬまでにかなりの苦しみを味わう場合や、死なずに大きな苦しみを味わい続ける場合だ。やはり、そんな恐ろしい苦しみだけは、なんとか避けたい。
 だから、こんな人生、いつ死んでもかまわないと思っているにもかかわらず、健康面にはかなり気をつけて暮らしている。なんだか妙な話だ。
 幸い、陽の光を浴びて畑仕事をしたり、こうやって、意識的に運動をしているおかげで、今のところ、それなりに健康を維持することはできている。今の私のこの生活は、かなり身体に良いという実感はある。
 ここに住むまでの私は、これほどまでに、心身が健康ではなかったように思う。身体を動かすことなど、まったく興味がなかったし、精神も、もっと鬱屈としていた。
 普通の人間だったら、こんな所に一人で生活していれば、孤独や寂しさで精神がまいってしまうかもしれないが、私の場合は違った。むしろ、一人で誰にも邪魔されず、他人と自分を比べることもない今の暮らしのほうが、はるかに精神にいい。
 それでも、たまには、人と会話を楽しみたいというか、話す相手がいたら良いなと、ふと思うときもある。でも、そんなことを思うのは、たまにという程度だし、おおむね現状には満足していることのほうが多いのだから、やはり、今の生活は、それなりに私に合っているのだと思う。
 遠くで、夕方のサイレンが鳴った。
 夕方五時近くになると、さすがに空の明るさにも、陰りが出始めてきた。この地域は気温差が大きく、夕方になると、急に気温が下がる。
 私は方向転換をして、今来た道を、また歩き始めた。

 

 

(『後藤田さんの静かな生活』
 【短編集『静かなひとり暮らしたち』収録作品】より抜粋)

 

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