一日の朝は、体操から始める。晴れている日は、庭に出て、太陽の光を浴びながらやることにしている。
太陽の光はいい。これを浴びるのと浴びないのとでは、体調や気分が、かなり違うと感じる。そして、そのあと特に予定があるわけでもないので、時間をかけて、入念に体全体を動かす。
それが終わったら、朝ごはんを食べる。朝、体を動かしたあとの朝食は美味い。食事が美味いかどうかは、私にとって、心身の調子を表すバロメーターとなる。だから、それによると、最近の調子は悪くないということになる。
ここは、麓の街から離れた、山の上にある地域。
鬱蒼とした木々に囲まれ、あるのは、使う人がいなくなって、人の手の入らなくなった荒れた畑や、ぽつぽつと点在する、古い民家だけ。その家屋も、空き家や廃墟と化しているものが多いため、この辺りは、心霊スポットとしても、一部では知られている。
観光地でもなんでもなく、この国で普通に生活しているほとんどの人には、一生知られることがないであろう、社会から忘れられたような場所。
だが、まさに、こういう場所こそが、私が終の棲家として求めていた場所だった。
そんな場所にある、破格の安値で売られていた家を、私は五十八歳の時、購入した。築四十年以上の、2DKの木造家屋。安いだけあり、さすがにぼろぼろである。
麓の街の不動産屋に案内され、初めてこの家を見に来たとき、以前ここに住んでいた人は、死んだのか、それとも夜逃げでもしたのか、家は生活感のあるまま、人だけがいなくなっているという状態だった。ただでさえぼろい家の上に、前の住人の荷物が残っていて、その処分がされていないということもあり、この家の価格が格安になっていたらしい。
しかし、それは私にとっては負担というより、むしろ好都合だった。残ったものをそのまま使えば、無駄な出費を抑えることができる。ここには、食器や家具、布団など、私が使えるものが、沢山残っていた。物にこだわりはないので、ほとんどそのまま使っている。それでも足りないものだけを買い足しながら、これまでやってきた。
そうして、ここに住み始めて、四年が過ぎた。
住み始めた頃は、それなりに大変なことも多かったが、大抵のことには、もう慣れた。不便さもあるけれど、私は、ここに居心地の良さを感じている。
今ではおそらく、死ぬまでここにいることになるだろうと思っている。
(『後藤田さんの静かな生活』
【短編集『静かなひとり暮らしたち』収録作品】より抜粋)