小金井書房ブログ

孤独、哀愁、静けさ

『孤独な古賀富士男の失踪』 ②

 

 眩しい。久しぶりに家の外に出て感じたのはそれだった。昼間の光がまばゆい。空が特別に快晴というわけではないのに、カーテンを閉めきった薄暗い部屋に慣れた今の私の目には、外の世界は目がくらむほど明る過ぎた。

 それでも何とか自転車に乗り、よろよろとスーパーへと向かう。一週間前だったら、今頃は職場で仕事をしていた時間だ。退職したのが三月の終わりだったから、今はもう四月か。外はすっかり暖かくなり、春の陽気だ。しかし今の私には、この暖かさや四月のどこか晴れやかな空気が、ただ鬱陶しく憂鬱なだけだった。

 自転車を漕いでいると、バス停の前でスーツ姿の二十代くらいの女性がバスを待っているのとすれ違った。新入社員、新社会人といった感じの雰囲気だ。それを見たとたん、反射的に仕事や社会のことを連想してしまって、気分が悪くなった。あわててそのイメージを振り払う。

 しばらくして、地元のスーパーに到着した。いつも土日か平日仕事帰りの夜に利用している店だ。駐輪場はかなり空いていた。店に入ると、店内もいつも来るときよりも人が大分少なくて、空間が広く感じた。平日の昼間のスーパーというのは、こんなに空いていたのか。そのことに、何だか愕然とした。

 料理をする気力などないので、カップめんや袋入りのロールパンなど、簡単に食べられるものばかりをカゴに入れていく。誰とも目を合わさないように、足早に店内を歩く。そして、いつものようにレジ待ちの長い列に並ぶということもなく、すぐにレジで会計を済ませて、店を出た。

 外の世界はあいかわらず明るく、残酷なほど平和な昼時の空気で満ちている。せっかく久しぶりに家の外へ出てきたものの、少し散歩してみようとか、その辺のベンチでゆっくりしようなどという気持ちは微塵も起こらない。早くこの真っ当な外の世界から逃れたくて、スーパーからアパートへと急ぐように帰った。

 買った荷物を片手に持って、自分の部屋のドアを開ける。当たり前だが、家を出る前と変わらない室内がそこにあった。1Kの部屋の窓のカーテンが閉まっていて、その隙間から、ほんのわずかに明るい光が射しこんでいる。薄暗く静かなこの室内に、少しだけほっとする。それから、買ってきたものを冷蔵庫や戸棚に一つ一つしまう。すべてのものをしまい終えたとき、不意に思った。

 これからどうする?

 いや、どうするって。そりゃ、仕事を探すんだろう。生活していくには、それ以外にないんだから。今は弱っているから無理だけど、そのうち気力と体調が回復したら、また仕事を探すのだ。

 でも、またあの苦しい就職活動をするのか? 仕事に就いたって、どうせまた辞めることになるかもしれないのに? もう一人の自分が、そう問いかけてくる。ある意味仕事以上に大変だった過去の数々の就職活動を思い出すと、吐き気がこみ上げてきそうになる。

 いったいもう何回目だ。就職活動をするのは。

 もう飽きた。仕事を探すことには。私の人生は、就職活動をしているだけで終わっていくのか。

 でも、そうするしかないんだろう? 生活していくためには、仕事を探す以外、私に選択肢などないんだから。もしこのままずっと仕事を探さなかったら、いったいどうなる。私は、このアパートの部屋にずっと引きこもり、布団の中で、誰にも気づかれずに孤独死する自分の姿を想像して、ぞっとした。

 その瞬間、急に全てが嫌になり、急に全てが恐ろしくなってきた。

 また一から新しい仕事を探さなければならないことも。このままアパートの一室で一人朽ち果て、このどうしようもない人生を終える自分も。

 もうこんな現実はいやだ!

 こんな世界はうんざりだし、こんな自分の人生もうんざりなんだ!

 気がつくと私は、財布と家の鍵だけを手に取り、衝動的に玄関を飛び出していた。

 もう、何もかもから逃げたい。苦しみしかないこの現実から逃げたい。この先何の希望もない自分から逃げ出したい。そんな衝動的な感情で、さっき出てきたばかりのアパートの外に、私はまた出ていた。そして、足早に歩き出した。

 私はいったい、どこへ向かっているのだろうか。頭の片隅でかすかにそんな疑問がよぎったが、自分でもよくわからないまま、とにかく身体の動きに従うように歩き続けた。外はさっきまでと変わらない様子である気がするけれど、今の私にはそれを感じる余裕もなかった。

 しばらくして、いつも通勤に利用していた地元の駅までやってきた。私は迷わず、毎朝していたのと同じように交通系ICカードをタッチして改札を通り抜けた。まるで、いつもの職場にこれから通勤する人のように。

 改札を抜けた先は、右と左、それぞれのホームへと上がる階段が分かれている。私は、いつも仕事へ行く時に利用していた、都心部へ向かう電車に乗るための右の階段ではなく、逆方向の電車が来る左の階段を駆け上がった。階段を上り切ると、ちょうどいいタイミングで電車がやってくるところだった。電車がホームに到着して人が電車から降りてくると、私は何の迷いもなくその電車に乗り込んだ。 

 

 (『孤独な古賀富士男の失踪』より抜粋)

 

 

孤独な古賀富士男の失踪

孤独な古賀富士男の失踪

  • 作者:佐藤密
  • 出版者: 小金井書房
  • 発売日: 2019/11/05
  • メディア: Kindle版